G-DGZKN8QKJ6 私達について | live tomorrow株式会社
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私たちについて

私たちに

​ついて

自己紹介させてください。

我々は、それぞれの分野で様々な企業のWEBマーケティングに長年関わってきた3名の個性豊かな変わり者です(笑)。
「live tomorrow株式会社」はその3名が新しい世代の新しいWEBマーケティングの常識を作ろうと自惚れて立ち上げたプロジェクトです。
ワイワイガヤガヤ議論らしきものを繰り返し、SNSだクラウドサービスだ、5Gだ、Z世代だ、リモートワークだって盛り上がって、さてそろそろ法人として立ち上げ営業を開始しようか・・・
そんな勢いだけで設立した会社です。

そもそも、地方の(とは限りませんが)企業や直売に取り組む農家さんの多くはWEBを活用したマーケティングをうまく運用できなかったり、リソースや知識の不足からアウター企業から提案のあった高額な仕組みを仕方なく導入されていたり・・・(すみません)
いまの世の中、費用なんか出さなくてもSNSでリーチしたり、ショッピングの仕組みを構築したり、ページが必要なら無料のクラウドCMSがいくらでも・・・
画像や動画だってスマホ一つあれば十分だし、小規模な運用ならスマホでどこにいようがどんな時間帯でも可能だし・・・

原因はきっとこれだ!
情報が無いのだ!情報があっても取り入れるイメージが湧かないのだ!
ならば必要とされる情報ややり方を伝授して差し上げよう!(笑)
そして、もしも企業が貧しいなら「お代は要らないよ。また結果がでたら声がけしてね。」
お金持ちなら「もし、これをやってコストが下がったら下がった中から少しくださいね。」
ってビジネスってうけないかなぁ・・・
って考えが私たちの基本です。

メンバー3名それぞれが長年、企業のWEBマーケティングや、DXのプランニングや、アプリケーション開発に携わってきた経験を持っています。そのナレッジをできるだけ多くの皆さんに伝えてゆきたい。そしてその事によって何かが起こればめちゃくちゃ面白い!そんな思いから立ち上げたプロジェクトですが。新しい、楽しい何かを私たちと一緒に経験してみませんか?

※akahige plantとは、live tomorrow株式会社が提案するWEBマーケティング適正化プロジェクトです

私について

私について

私(代表取締役:難波孝宏)が何故この会社を設立したか?何をやりたいのか?を紹介させて頂きます。

大学を卒業してすぐ、大好きだったアパレルの仕事につきました。学生の頃からアパレルに対しての興味は半端なく、大学生の分際で大卒初任給平均9万円程度だった時代に、通い詰めっていた洋服屋さん(今風に言うとセレクトショプ?)に毎月7万円前後の支払いがあったほどです。当時のバイトの全てや親から貰う小遣いの全てを注ぎ込んでいた感じです。
思えば、子供の頃から「好き!」となると、一切の自己制限が取っ払われ、時間も金も湯水の如く注ぎ込んでしまうのが私自身のアイデンティティだと信じ込んでいたと思われます。

​その当時の日本の企業はどこもそうだったと思いますが、特に私が勤めた極小アパレルメーカーは超が10個以上必要なブラック企業でした。おそらく年間トータルで30日も休みが無かった思いますが、それより1日の勤務時間の長いこと長いこと・・・・ただ、超ウルトラハードワークと超ウルトラ広範囲業務のおかげで、大好きだったデザインだけでなく、営業、制作、仕入、広報、経理、財務に至るまで経験できたのはラッキーでした。24歳の時から手形の発行、決算業務や財務に至るまで経験出来る事って普通無いですよね。

その後、居酒屋の大将、訪問販売の営業、経営、ゴルフ会員権の売買、リゾートクラブの運営・・・・色々やったこと全てが私自身の糧になったことは間違いないと確信しています。

バブルも相俟って当時の生活は今から考えると恐ろしく、恥ずかしくなるほど派手で傲慢なものでした。ただ、その当時感じていたのは決して収入に見合う満足感ではなく、お金だけでは解決できない心の渇きでした。
何故なのか原因の究明もそこそこに鬱状態の毎日に苦しみ続け、とうとう全てを投げ出し(放り出し?)無職になってしまうのにさほど日数はかかりませんでした。

1995年秋、バブルの後処理も終わり、一文なし・無職の私が選択したのが、友人(生涯の友)から教えてもらった「インターネット」と言うキーワードでした。その時までPCどころかワープロでさえ触ったこともなかった私が何故かその言葉と仕組みに特別な興味を抱き、所謂「NETオタク」と呼ばれるようになるまでさほど時間は要しませんでした。
そして、1996年有限会社ウィーブ(現:weave株式会社)の設立、インターネットモール(当時はそういう呼び方が一般的でした)「なにわモール」(1996年)の開業・・・その後、過剰在庫処分・仕入れサイト「もちもちドットコム」(1998年)、懸賞サイト「たなぼたドットコム」(1998年)、フリーゲームサイト「ゲームどっぷり」(1999年)・・・・思いつくまま、ローンチし続けましたが、結果は悲惨なもの・・・・
netバブルと言う時代がありました

<2004年当時の私>

2004年、それ以降、私のマーケティング志向を決定付ける企業参加型SNS「pochitto」のローンチ。
当時SNS(ソーシャルネットワーキング)に含まれるS(ソーシャル)とは個人限定であって、そこに法人や商店は含まれていませんでしたが、インターネットをマーケティングの新たなプラットフォームとしか考えていなかった私は、SNSこそ新しいマーケティングツールであるべきだと企業アカウントの導入とマーケティングの仕組みを組み入れたSNSを運営。一部の投資会社やアナリストからの評価は頂きましたが、結果は・・・悲惨なものでした。
「SNSこそ個のネットワーク、そこで利益を上げようとする姿勢は最低なヤツだ!」例の掲示板でも散々叩き捲られました。残念ですが、その後ソーシャルメディアと企業マーケティングの関連を力説するにはアメリカ発のSNS「Facebook」の日本普及を待つしかありませんでした。
ただ嬉しいのは試行錯誤を繰り返し足掻いていた当時、とても多様なご縁に恵まれ、現在に至るまで色々な方々からご支援やアドバイスを頂き、中にはとても耳の痛いアドバイスも多くありましたが、全てが現在の私にとっては励みであり糧となっている事です。

その後、経営企業の存続危機もあり大企業のサイトやシステムの受託先という安定を選択。
おかげ様で日本を代表するような企業様達との取り組みも増え、経営も安定、社内の体制も安定。
私と言えば、ただただ冒険心を抑え込みじっとじっと我慢し、回ってくる稟議書に押印するだけの毎日・・・

しかし、時代はクラウドサービス真っ盛り、SNS真っ盛り、ペイドメディアの衰退に歯止めなし・・・・
まさにやりたかった事の環境が整い始め、チャンスが目の前に。
しかし、受託事業の拡大で会社としての安定性と信頼は増すばかり。

悶々と悩み続ける毎日。
「私の起業って、志は無かったのだろうか?私が望んだのは今の事業だったっけ?」「このまま黙って押印を続け、社長としての人並み以上の給与を受け取る事だけが起業した目的だったけ?」

考えれば考える程・・・はい!もう無理でした。

という事で、2020年代表取締役退任。
​そして人生3度目の起業!しかも68歳という年齢で、「ソーシャルメディアマーケティング」、「Z世代マーケティング」、「社内WEBマーケター育成」、「社内インフルエンサー育成」などと呟きながら。
本来大嫌いだった「コンサルティング会社」を自ら起業するとは思いもよらなかったのですが、企業の本質的WEBマーケティングのお手伝いをする仕事って、色々試行錯誤したのですが「WEBマーケティングコンサルティング」という言い方意外選択肢がなかったのですね。

​以前、「難波さんの青春っていつ頃でした?」って質問を受け、さほどの迷いもなく「今!」って答えた自分が結構好きです。誰よりも経験を持ち、誰よりも熱くWEBマーケティングを考え、語れる毎日。幸せです。
​64歳から始めた登山で私が感じた、「頂きからしか見えない景色」を是非皆さんにもご覧きたく悶絶の日々はこれからも続きます。
登山は頂からの景色を見せてくれます

<頂きからの景色は格別>

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